週末を過ぎると、ボランティア人数は、また安定してしまったようで、30人前後になりました。
梅雨に入りましたが、一時スコールがあったり、酷暑になったり、不安定。
はまセンも26日までですから、あと4日。これからは、雨マークが続いています。
でも、みなさん、元気にやってるでしょうね。(雨なのでボクは休んでいますが・・・)
それとも、毎晩の宴会の続きでもやってますかね。
名足地区の漁協組合員との懇談。

誰かが「津波体験を聞かせてもらえませんか」と言い出しましたときにはビックリしましたよ。こんなダイレクトに言うなんて。(事前に打診していたのかもしれませんがね)
でも、快く応じてくれましたよ。過去を振り返る余裕を取り戻してきたんでしょうね。
(この直前に、浜辺の清掃をしていましたから、信頼関係もあったのかもしれません)
ぼくも先日、漁師の方と30分くらい話しました。というより捕まりました。
相手が話したい、言いたいという感じでしたから、相槌を打ちながら聞いていましたよ。
やはり意識していた津波予想をはるかに上まっていたようです。
「漁師だから、船を守るために、沖に出た」という話が印象的でした。
2晩海上で過ごして、3日目に、放流物を避けて通路を作り、やっと接岸できたそうです。
繰り返し寄せる津波と、漂流物で動けなかったようです。
「屋根も家具もそっくり流れてきた。あのとき捜索すれば、良かったかなあ~」って言葉も・・・。
淡々と語る姿には、誰もウンウンとうなづくだけでしたね。
(一部オジサンの軽い突っ込み(相槌?)もありましたがね。笑)
1か月間、ダンプ、ユンボ持参の福岡組も今日で終了です。

道路脇にある井戸です。

手押しポンプが人気でした。
冷たい水と日よけは、オアシスでしたね。でも水はちょっと塩からかった。
スコールのときは全員ココに逃げ込みましたよ。
名足地区に本格的に入って1週間ほどですが、住民の方には好意を持って受け入れられているようです。
よく挨拶されたり、差し入れをいただきます。
小泉地区は2か月になります。仮設住居もできたそうだし、避難所も閉鎖統合されるようです。
長く同居していると、馴れ合いみたいのものも感じられますね。潮時でしょう。
ところで、子供たちの「地震遊び」やっぱりやってましたよ。
まだまだ余震があります。しかし、ボラセンで津波の注意は一度しか聞きませんでしたね。
お風呂の時間とかゴミの始末、火の始末は毎日言ってくれますが・・・。放送設備はあったのかしら?
常に携帯しているボクのバックには、ラジオやライト、工具などの非常用備品が詰め込んでありますよ。
ほとんどの人が手ぶらで作業しています。信じられません。
まあ、ボランティアは自己責任ですからね。
みんさん疲れてくると、面倒なところは敬遠しますね。
砂利の下の、片鱗を見せているものを掘り出したりしませんね。
「ユンボで一掻きしてもらえばあ~」なんて言いますね。
それができりゃ、もともと人力でなんかしてませんよねえ。
そんなときは「楽しみでやってますから」って言いますね。取り出したときは、ちょっとした満足感もありますしね。
ボランティアは楽しみながらやらなきゃね!
参考になったらクリックお願いします。
<オマケのカット>
再びダイエット?

1か月前に来られたのですが、「腰を痛めて挫折」と書いたボクの記事に怒って、新潟から再チャレンジにきたようです。
さて、今回は、コレが凹みますかねえ~。
若い女性は人気者です。

左は、福岡の青じいさん。中央は秋田の海岸ゴミ拾いNPOの親分です。
長野の「いらっしゃいませ~」お姉さん。

新リーダーのお昼ね。

再び、岡山から、重装備でやってきたお友達です。挨拶に寄ってくれました。

とりあえず、南三陸のボラセンに席を置くようです。今回は8月末までの予定だそうです。
前よりバージョンアップしてきましたよ。寝床も作ってありました。
前後には「災害ボランティア・私設特殊工作隊」ってプレートをつけていました。ヤルー!
粘板岩?の石垣。瓦礫撤去のところで発見しました。

このあたりでも採れるのかな?
手前が製品です。

梅雨に入りましたが、一時スコールがあったり、酷暑になったり、不安定。
はまセンも26日までですから、あと4日。これからは、雨マークが続いています。
でも、みなさん、元気にやってるでしょうね。(雨なのでボクは休んでいますが・・・)
それとも、毎晩の宴会の続きでもやってますかね。
名足地区の漁協組合員との懇談。

誰かが「津波体験を聞かせてもらえませんか」と言い出しましたときにはビックリしましたよ。こんなダイレクトに言うなんて。(事前に打診していたのかもしれませんがね)
でも、快く応じてくれましたよ。過去を振り返る余裕を取り戻してきたんでしょうね。
(この直前に、浜辺の清掃をしていましたから、信頼関係もあったのかもしれません)
ぼくも先日、漁師の方と30分くらい話しました。というより捕まりました。
相手が話したい、言いたいという感じでしたから、相槌を打ちながら聞いていましたよ。
やはり意識していた津波予想をはるかに上まっていたようです。
「漁師だから、船を守るために、沖に出た」という話が印象的でした。
2晩海上で過ごして、3日目に、放流物を避けて通路を作り、やっと接岸できたそうです。
繰り返し寄せる津波と、漂流物で動けなかったようです。
「屋根も家具もそっくり流れてきた。あのとき捜索すれば、良かったかなあ~」って言葉も・・・。
淡々と語る姿には、誰もウンウンとうなづくだけでしたね。
(一部オジサンの軽い突っ込み(相槌?)もありましたがね。笑)
1か月間、ダンプ、ユンボ持参の福岡組も今日で終了です。

道路脇にある井戸です。

手押しポンプが人気でした。
冷たい水と日よけは、オアシスでしたね。でも水はちょっと塩からかった。
スコールのときは全員ココに逃げ込みましたよ。
名足地区に本格的に入って1週間ほどですが、住民の方には好意を持って受け入れられているようです。
よく挨拶されたり、差し入れをいただきます。
小泉地区は2か月になります。仮設住居もできたそうだし、避難所も閉鎖統合されるようです。
長く同居していると、馴れ合いみたいのものも感じられますね。潮時でしょう。
ところで、子供たちの「地震遊び」やっぱりやってましたよ。
まだまだ余震があります。しかし、ボラセンで津波の注意は一度しか聞きませんでしたね。
お風呂の時間とかゴミの始末、火の始末は毎日言ってくれますが・・・。放送設備はあったのかしら?
常に携帯しているボクのバックには、ラジオやライト、工具などの非常用備品が詰め込んでありますよ。
ほとんどの人が手ぶらで作業しています。信じられません。
まあ、ボランティアは自己責任ですからね。
みんさん疲れてくると、面倒なところは敬遠しますね。
砂利の下の、片鱗を見せているものを掘り出したりしませんね。
「ユンボで一掻きしてもらえばあ~」なんて言いますね。
それができりゃ、もともと人力でなんかしてませんよねえ。
そんなときは「楽しみでやってますから」って言いますね。取り出したときは、ちょっとした満足感もありますしね。
ボランティアは楽しみながらやらなきゃね!


<オマケのカット>
再びダイエット?

1か月前に来られたのですが、「腰を痛めて挫折」と書いたボクの記事に怒って、新潟から再チャレンジにきたようです。
さて、今回は、コレが凹みますかねえ~。
若い女性は人気者です。

左は、福岡の青じいさん。中央は秋田の海岸ゴミ拾いNPOの親分です。
長野の「いらっしゃいませ~」お姉さん。

新リーダーのお昼ね。

再び、岡山から、重装備でやってきたお友達です。挨拶に寄ってくれました。

とりあえず、南三陸のボラセンに席を置くようです。今回は8月末までの予定だそうです。
前よりバージョンアップしてきましたよ。寝床も作ってありました。
前後には「災害ボランティア・私設特殊工作隊」ってプレートをつけていました。ヤルー!
粘板岩?の石垣。瓦礫撤去のところで発見しました。

このあたりでも採れるのかな?
手前が製品です。

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最終更新日 : -0001-11-30