岩手県の大雨災害で宮古市入りをしてから、3週間+αボランティアをして今日戻ってきました。
この間のことはFBで発信してますので、ご興味のある方は覗いてみてください。
こんかいは、その間の出来事などを、とりとめなくトピックスを綴ってみます。長文になりそうですが。
●当初は宮古市市街地のボラセンにいたのですが、上流部に入ったボラ仲間からの要請で新里地区に入りました。
道路が寸断されていて、普通なら20分のところを迂回して4時間かけて山道を抜けていきましたよ。
●そのときに教えてもらったのが、スマホやタブレットで使えるヤフーナビです。
これがけっこう優秀で、通行不可などの情報がきめ細かく表示されるのですよ。
通行止めや解除なども1時間くらいで反映されます。岩手県の交通情報よりも詳しいし早いしわかりやすい。どうやって情報を集めるんだろ?
ナビ自体の機能はイマイチですが、かなり重宝しました。
●岩手県の被害は、大きく分けると、北から久慈市、岩泉町、宮古市です。
宮古市には、3ヶ所のボラセンがありました。海岸部から市街地本部、新里地区、川井地区です。
新里地区にはサテライトがあり、初期から災害ボランティア団体(風組連合)が社協ボラセンとタイアップして活動しました。
これが実現したのは、3年前に同様の被害にあい、その後災害対応を熱心に勉強されてきた雫石社協の仲介、支援、協賛があったからだとおもいます。
●風組連合は連携してる災害対応チームなのですが、主に床上げ処理や壁剥がし、床下水抜き、通風、乾燥、高圧洗浄、事後の消毒、カビ対策などの専門技術を駆使するプロボノと呼ばれるボランティアなのです。
ただ、社協(支部ごとに)によっては床上げ対応をしないという方針もあったりして統一されてないのですよ。
また、泥出しも開口された場所だけで、床下には潜らないというような、何のための泥出しかわからな対応をしているところもあります。
●ボクラの最初の作業はニーズ調査で、対処方法などをアドバイスしながら要望を聞き取っていきます。
次の作業は、荷物、畳の運び出し、床の洗浄、床板剥がし、泥出し、消毒と続きますが、ボクはおもに床上げと壁剥がしを担当してました。一般ボラさんが泥出しに入れるように前準備します。怪我しないように釘一本も残さないようにしたり、入りやすいように根太(床を支えている木材)を間引いたりしてます。もちろん再現できるように大引(根太の下材)で切り取ります。
状況によっては、日常生活の動線確保のために、仮床を作ったり、床戻しもします。
●2~4人のチームで1日2軒ほどこなします。1軒につき2、3部屋の和室があり、この床板を剥がします。
このとき、再利用できる場合(大工さんや家主さんとの理解のもとでです)は丁寧に取り外します。洗浄後に元に戻せるようナンバリングしておきます。
フローリングは再利用できないので、傷んでいる場合以外は、剥がさずに潜って泥出しをします。これは通称モグラと呼ばれる専門職?です。意外と女性が好きですね。
●壁のカビは微妙な問題ですねええ。石膏ボードや断熱材が濡れてしまうと、ほとんどカビが発生します。
見えているところは説明したりしますが、壁全体を治すにはお金がかかりますから、家主さんは必ず悩みます。
で、強制的なことは言わず、家主さんの判断にお任せするようにしてます。
とりあえずは消毒剤で拭き取れば一旦は消えてしまうのも一因なんですがね。
それと見えない壁の裏側などは、さらに厄介ですねええ。わざと見せることも難しいですし。
●体が馴染んでいないせいか最初の1週間はキツかったですねええ。一般ボラ(10時~3時)と違って5時くらいまでやってます。
缶ビール半分を呑んだらバタンキューで3時間ほどたったら目が冷めて、残りを呑んだらふたたび寝てしまい晩飯抜きのときもありましたよ。
それに、かがみ作業ですから腰痛には悩まされましたねええ。伸ばすたびにギギギィーっと音がしましたよ。埋め木声も。
このころ腰痛老人三人衆と呼ばれてました。
●ああ、思い出しました。1週間後に国際学生ボラ団体IVUSAが70名くらいが来てくれるということで、そのための作業作りにも追われたのでした。
とにかくモグリでも何でもやる若い集団です。その組織力は目を見張るものがありました。
2日前に先遣隊10名がきて、調査・作業して状況を把握します。その後、本隊が2日間きて、預けた作業は夕方までかかってもやっつけていきました。
トラックに装備(作業道具、自炊道具)満載し、前線本部を設け、トランシーバーでやり取りし、まるで自己完結の自衛隊のようでしたね。
●も一つが私設ボラ団体の「まなみ組」。養生から仕上げまで見事な作業をします。
ちょと強面の優しいお姉さんが仕切っています。組長の指示でピシーーーー!!!と作業します。信頼された組員以外は仲間になれないようです。
●被害の酷かった茂市地区には200軒ほどありますが、ここで30軒くらいの床上げ作業をしました。
その後周辺地域も何軒かやりましたが、これらのニーズがなくなったので戻ってきた次第です。
ここの新里サテライトも今月28日には閉鎖され、市街地にある本部に集約されます。宮古市はほぼ収束してきたということです。
●しかし、岩泉町はまだまだ大変な状況です。
24日に、時間が空いたので(この日だけ作業は休んだ)40キロはなれた町を一回りしてきました。250キロほど走りました。
日本一広い町だそうで東京23区と横浜市を合わせたくらいあるそうです。ほとんど山間部なので、孤立していた集落も多く、最近やっと解消したばかりです。
いまだに電気や水道が復旧していないところもあり、ボランティアもまったく入っていない地域もあります。
土日の休日には団体のボラバスが来てくれるので100名を超えるときもありますが、平日は一般ボランティアが十数名前後という状態です。
●ぜひぜひ、年金生活の老人パワー?を発揮してもらいたいところです。
ボクラのサテライトにも数名の老人パワーがありまして、1週間単位で来て活躍してました。
この1週間という期間がポイントです。事情がわかってくるので、2、3日後には現場リーダをやってくれるからです。まあ、人にもよりますが。
●作業を初めてから10ほど経ったら、他のメンバーがそれぞれの事情で帰ってしまい、ボク一人残されてしまいました。
その後は風組連合臨時駐在員という変な状況で続けることになってしまったのです。
まあ、なんだかんだで、助っ人してくれる人が現れるもんで、なんとかかんとかやり続けることができました。つながりはホントに有り難いですねぇ。感謝。
●つながりといえば、毎日サテライトで会っていたクルミ拾いのおじいちゃんは、いつのころからか傍の湧き水にトマトを冷やしておいてくれました。
被災家屋で大工仕事をしていた、取っ付きの悪かった地元のたった一人の棟梁は、いつのころから朝晩サテライトに寄って、なんやかんや差し入れしてくれました。熊鍋や茹で栗や朝の松茸ごはんとか。呑みに誘われたりもするのですが・・・。
その他にも、社協さんからもカツオやサンマなどの差し入れとかありました。
軽トラ移動コーヒー屋の旅商人さんが滞在し、被災された方々やボランティア、社協のみなさんに無料コーヒーを振る舞ってくれました。ボラ作業もしてましたよ。
●ちなみに、ボクはサテライトの駐車場で車中泊です。
ときどき畳の部屋に招待されたりしますが、かえって腰が痛くなり、車生活に戻りましたよ。
車中泊連中だけで誰もいない広大な駐車場で宴会をやったりしたこともありました。
●ああ、それから、なぜかしら、お酒をもってボラに来る人がいまして、ボクをお酒で支援してくれました。
その数は合計10本をこえましたよ。(笑)
割れたらマズイので、邪魔な?お酒に囲まれて寝るはめになりましたが、感謝です。
お酒のこき使われている夢をみました。(冗談) それを仕組んだ黒幕がいるような気がするのですが・・・。
●そんなわけで、ほとんどコンビニ食だったのですが、まともな食事を採れるときもふえてきました。
朝はパン、昼はおにぎり、夜はビールに弁当ってのが基本パターンでした。
差し入れがあると、これらの消費期限が過ぎてしまうのですが、ま、防腐剤いっぱいの食品ですから2、3日過ぎても問題なかったですね。
9月始めのころは30度弱のときもありましたが、後半は20度ちょっとでしたし、朝晩は16度くらいでしたから。
●で、1か月も放置していた山小舎の作業に目処がついたら、こんどは岩泉入りですかねぇ。
岩泉町には海側から小本(おもと)地区、岩泉中心地区、小川(こがわ)地区にボラセンがあるのですが、北の安家(あっか)地区にはありません。
ここに、オープンジャパンという災害ボラ組織が入っているのでここでしょうかねええ。
おそらく新里地区が30か所くらいありそうな被害規模です。それに新里地区に比べ2週間以上遅れているような復旧状態です。
現在のボランティア数では、まったく足りてません。
退屈しのぎと言っては失礼ですが、こんなロートルでも少しでも役に立てればいいのかなと。
帰ってきたのはいいけれど食料がないじゃない!? しょうがない、酒と非常食だな!









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こんかいは、その間の出来事などを、とりとめなくトピックスを綴ってみます。長文になりそうですが。
●当初は宮古市市街地のボラセンにいたのですが、上流部に入ったボラ仲間からの要請で新里地区に入りました。
道路が寸断されていて、普通なら20分のところを迂回して4時間かけて山道を抜けていきましたよ。
●そのときに教えてもらったのが、スマホやタブレットで使えるヤフーナビです。
これがけっこう優秀で、通行不可などの情報がきめ細かく表示されるのですよ。
通行止めや解除なども1時間くらいで反映されます。岩手県の交通情報よりも詳しいし早いしわかりやすい。どうやって情報を集めるんだろ?
ナビ自体の機能はイマイチですが、かなり重宝しました。
●岩手県の被害は、大きく分けると、北から久慈市、岩泉町、宮古市です。
宮古市には、3ヶ所のボラセンがありました。海岸部から市街地本部、新里地区、川井地区です。
新里地区にはサテライトがあり、初期から災害ボランティア団体(風組連合)が社協ボラセンとタイアップして活動しました。
これが実現したのは、3年前に同様の被害にあい、その後災害対応を熱心に勉強されてきた雫石社協の仲介、支援、協賛があったからだとおもいます。
●風組連合は連携してる災害対応チームなのですが、主に床上げ処理や壁剥がし、床下水抜き、通風、乾燥、高圧洗浄、事後の消毒、カビ対策などの専門技術を駆使するプロボノと呼ばれるボランティアなのです。
ただ、社協(支部ごとに)によっては床上げ対応をしないという方針もあったりして統一されてないのですよ。
また、泥出しも開口された場所だけで、床下には潜らないというような、何のための泥出しかわからな対応をしているところもあります。
●ボクラの最初の作業はニーズ調査で、対処方法などをアドバイスしながら要望を聞き取っていきます。
次の作業は、荷物、畳の運び出し、床の洗浄、床板剥がし、泥出し、消毒と続きますが、ボクはおもに床上げと壁剥がしを担当してました。一般ボラさんが泥出しに入れるように前準備します。怪我しないように釘一本も残さないようにしたり、入りやすいように根太(床を支えている木材)を間引いたりしてます。もちろん再現できるように大引(根太の下材)で切り取ります。
状況によっては、日常生活の動線確保のために、仮床を作ったり、床戻しもします。
●2~4人のチームで1日2軒ほどこなします。1軒につき2、3部屋の和室があり、この床板を剥がします。
このとき、再利用できる場合(大工さんや家主さんとの理解のもとでです)は丁寧に取り外します。洗浄後に元に戻せるようナンバリングしておきます。
フローリングは再利用できないので、傷んでいる場合以外は、剥がさずに潜って泥出しをします。これは通称モグラと呼ばれる専門職?です。意外と女性が好きですね。
●壁のカビは微妙な問題ですねええ。石膏ボードや断熱材が濡れてしまうと、ほとんどカビが発生します。
見えているところは説明したりしますが、壁全体を治すにはお金がかかりますから、家主さんは必ず悩みます。
で、強制的なことは言わず、家主さんの判断にお任せするようにしてます。
とりあえずは消毒剤で拭き取れば一旦は消えてしまうのも一因なんですがね。
それと見えない壁の裏側などは、さらに厄介ですねええ。わざと見せることも難しいですし。
●体が馴染んでいないせいか最初の1週間はキツかったですねええ。一般ボラ(10時~3時)と違って5時くらいまでやってます。
缶ビール半分を呑んだらバタンキューで3時間ほどたったら目が冷めて、残りを呑んだらふたたび寝てしまい晩飯抜きのときもありましたよ。
それに、かがみ作業ですから腰痛には悩まされましたねええ。伸ばすたびにギギギィーっと音がしましたよ。埋め木声も。
このころ腰痛老人三人衆と呼ばれてました。
●ああ、思い出しました。1週間後に国際学生ボラ団体IVUSAが70名くらいが来てくれるということで、そのための作業作りにも追われたのでした。
とにかくモグリでも何でもやる若い集団です。その組織力は目を見張るものがありました。
2日前に先遣隊10名がきて、調査・作業して状況を把握します。その後、本隊が2日間きて、預けた作業は夕方までかかってもやっつけていきました。
トラックに装備(作業道具、自炊道具)満載し、前線本部を設け、トランシーバーでやり取りし、まるで自己完結の自衛隊のようでしたね。
●も一つが私設ボラ団体の「まなみ組」。養生から仕上げまで見事な作業をします。
ちょと強面の優しいお姉さんが仕切っています。組長の指示でピシーーーー!!!と作業します。信頼された組員以外は仲間になれないようです。
●被害の酷かった茂市地区には200軒ほどありますが、ここで30軒くらいの床上げ作業をしました。
その後周辺地域も何軒かやりましたが、これらのニーズがなくなったので戻ってきた次第です。
ここの新里サテライトも今月28日には閉鎖され、市街地にある本部に集約されます。宮古市はほぼ収束してきたということです。
●しかし、岩泉町はまだまだ大変な状況です。
24日に、時間が空いたので(この日だけ作業は休んだ)40キロはなれた町を一回りしてきました。250キロほど走りました。
日本一広い町だそうで東京23区と横浜市を合わせたくらいあるそうです。ほとんど山間部なので、孤立していた集落も多く、最近やっと解消したばかりです。
いまだに電気や水道が復旧していないところもあり、ボランティアもまったく入っていない地域もあります。
土日の休日には団体のボラバスが来てくれるので100名を超えるときもありますが、平日は一般ボランティアが十数名前後という状態です。
●ぜひぜひ、年金生活の老人パワー?を発揮してもらいたいところです。
ボクラのサテライトにも数名の老人パワーがありまして、1週間単位で来て活躍してました。
この1週間という期間がポイントです。事情がわかってくるので、2、3日後には現場リーダをやってくれるからです。まあ、人にもよりますが。
●作業を初めてから10ほど経ったら、他のメンバーがそれぞれの事情で帰ってしまい、ボク一人残されてしまいました。
その後は風組連合臨時駐在員という変な状況で続けることになってしまったのです。
まあ、なんだかんだで、助っ人してくれる人が現れるもんで、なんとかかんとかやり続けることができました。つながりはホントに有り難いですねぇ。感謝。
●つながりといえば、毎日サテライトで会っていたクルミ拾いのおじいちゃんは、いつのころからか傍の湧き水にトマトを冷やしておいてくれました。
被災家屋で大工仕事をしていた、取っ付きの悪かった地元のたった一人の棟梁は、いつのころから朝晩サテライトに寄って、なんやかんや差し入れしてくれました。熊鍋や茹で栗や朝の松茸ごはんとか。呑みに誘われたりもするのですが・・・。
その他にも、社協さんからもカツオやサンマなどの差し入れとかありました。
軽トラ移動コーヒー屋の旅商人さんが滞在し、被災された方々やボランティア、社協のみなさんに無料コーヒーを振る舞ってくれました。ボラ作業もしてましたよ。
●ちなみに、ボクはサテライトの駐車場で車中泊です。
ときどき畳の部屋に招待されたりしますが、かえって腰が痛くなり、車生活に戻りましたよ。
車中泊連中だけで誰もいない広大な駐車場で宴会をやったりしたこともありました。
●ああ、それから、なぜかしら、お酒をもってボラに来る人がいまして、ボクをお酒で支援してくれました。
その数は合計10本をこえましたよ。(笑)
割れたらマズイので、邪魔な?お酒に囲まれて寝るはめになりましたが、感謝です。
お酒のこき使われている夢をみました。(冗談) それを仕組んだ黒幕がいるような気がするのですが・・・。
●そんなわけで、ほとんどコンビニ食だったのですが、まともな食事を採れるときもふえてきました。
朝はパン、昼はおにぎり、夜はビールに弁当ってのが基本パターンでした。
差し入れがあると、これらの消費期限が過ぎてしまうのですが、ま、防腐剤いっぱいの食品ですから2、3日過ぎても問題なかったですね。
9月始めのころは30度弱のときもありましたが、後半は20度ちょっとでしたし、朝晩は16度くらいでしたから。
●で、1か月も放置していた山小舎の作業に目処がついたら、こんどは岩泉入りですかねぇ。
岩泉町には海側から小本(おもと)地区、岩泉中心地区、小川(こがわ)地区にボラセンがあるのですが、北の安家(あっか)地区にはありません。
ここに、オープンジャパンという災害ボラ組織が入っているのでここでしょうかねええ。
おそらく新里地区が30か所くらいありそうな被害規模です。それに新里地区に比べ2週間以上遅れているような復旧状態です。
現在のボランティア数では、まったく足りてません。
退屈しのぎと言っては失礼ですが、こんなロートルでも少しでも役に立てればいいのかなと。
帰ってきたのはいいけれど食料がないじゃない!? しょうがない、酒と非常食だな!











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最終更新日 : 2016-09-28